明石港から淡路島の岩屋港へ。かつて、明石海峡を約20分で渡るフェリーがありました。
「たこフェリー」の名前を聞くだけで、あの頃の明石港や淡路への小さな旅を思い出す人もいるかもしれません。
今回は、運航当時に撮影した写真をもとに、なつかしいたこフェリーを振り返ります。
明石と淡路を結んだ「たこフェリー」
「たこフェリー」は、明石港と淡路島の岩屋港を結んでいた明石淡路フェリーの愛称です。
航路そのものは、1954年に兵庫県営の明石フェリーとして始まり、その後、日本道路公団、明岩海峡フェリー、明石フェリーなどを経て、2000年に明石淡路フェリーへ事業譲渡されました。明石淡路フェリーは、明石市や淡路市なども関わる第三セクターとして運航を続けていました。
休止直前の航路は、明石港から岩屋港まで。所要時間は約20分でした。車だけでなく、徒歩や自転車、通勤・通学の利用もあり、明石と淡路を日常的につなぐ交通手段でもありました。
明石海峡大橋が開通したあとも、橋を通れない小型バイクなどにとって、フェリーは大切な存在でした。けれども、高速道路料金の値下げや利用者減少などの影響を受け、2010年11月15日の運航を最後に休止。2012年6月29日に航路は廃止されました。
明石海峡大橋をくぐる絶景を堪能できた船旅
明石海峡大橋の下を進む、たこフェリー。
橋ができたあとも、フェリーから眺める明石海峡大橋には特別な迫力がありました。車で橋を渡ると、海は一瞬で下に流れていきます。けれど船に乗ると、橋は頭上にゆっくり近づき、鉄骨の大きさや橋脚の高さを体で感じることができました。
明石から淡路へ向かう約20分。
たこフェリーは、移動手段であると同時に、明石海峡を「渡っている」と実感できる乗り物でした。
「あさかぜ丸」もたこフェリー
たこフェリーと言えば大きなたこが描かれた船体を思い浮かべますが、この船は「あさしお丸」。もう一隻、ペイントが違う船は「あさかぜ丸」でした。
あさかぜ丸は1989年に竣工した船で、晩年には「のりたい号」の愛称も使われ、パパたこや明石のキャラクターなどが船体に描かれていました。
たこフェリーを思い出すとき、船体のタコの絵を一緒に思い出す人は多いはずです。
白い船体に、赤や黄色の大きなキャラクター。
フェリーという実用的な乗り物なのに、どこか遊園地の乗り物のような親しみがありました。
港で見かけるだけで、「あ、たこフェリーや」とわかる。
それくらい、船体のデザインは明石の海の風景に馴染んでいました。
赤い乗り場は人と車が船に乗る場所
写真に写る赤い乗り場には、「ようこそたこフェリー」の文字があります。
車が一台ずつ下船し、歩いて降りる人もいる。
フェリーならではの、少しだけゆっくりした出入りの時間でした。
落ち着いた雰囲気のたこフェリーの船内
こちらは「あさしお丸」の客室内です。
青い座席に白いヘッドカバー。窓にはカーテンがあり、外には海の光が入ってきます。
特別に豪華な船内ではありません。でも、短い航路には十分でした。
たった20分ほどの船旅でも、船内には「移動中」とも「休憩中」とも言い切れない、フェリー独特の時間がありました。
明石港を離れ淡路島へと向かう時間
明石港を出港する場面です。
船の後ろに白い航跡が伸び、港のクレーンや建物が少しずつ遠ざかっていきます。
フェリーのよさは、出発した瞬間に目的地へ一直線に進むだけではないところです。
港を離れる時間そのものが、旅の入口になっていました。
明石の街が背中側に流れていき、前方には明石海峡大橋、そして淡路島が見えてくる。
この距離感は、橋の上から見る景色とは違います。
「たこフェリー」もう戻らない船影
たこフェリーを振り返ることは、単に古い船を懐かしむことではありません。
橋ができて、移動が速くなり、街の流れが変わっていく中で、かつて海を渡る日常があったことを思い出すことでもあります。
いま同じ風景は戻りません。
それでも写真を見返すことで、明石と淡路の間にあった20分の船旅に、もう一度会いに行くことができます。








