神戸・灘の坂を上った先に、学校というより城郭のように見える建物があります。
兵庫県立神戸高等学校の本館です。作家・村上春樹の母校としても知られるこの場所には、「ロンドン塔」と呼ばれる塔屋、昭和の鐘、古い水飲み場が静かに残っていました。
※この記事の写真は、神戸建築祭2026での公開時に撮影したものです。
坂の上に現れる、学校とは思えない本館
神戸市灘区、上野が丘。
坂を上っていくと、木々の向こうに白い校舎が見えてきます。
兵庫県立神戸高等学校の本館です。
神戸建築祭2026で公開されたこの本館は、学校建築でありながら、どこか城郭のような佇まいを持っています。正面のアーチ、重みのある門柱、塔屋、窓の並び。校舎というより、丘の上に置かれた小さな城のようにも見えます。
神戸建築祭2026の公式紹介では、神戸高校本館は1938年、昭和13年に竣工した2代目校舎で、設計は兵庫県営繕課。鉄筋コンクリート造3階建てに塔屋を備え、「ロンドン塔」と呼ばれる塔屋や、銃眼に見立てた装飾などを持つ、中世の古城を模したロマネスク調建築と紹介されています。公開箇所は本館の階段部分でした。
現地の説明板には「上野が丘のロンドン塔」とありました。
この呼び名が、少し不思議です。神戸の丘の上に、ロンドン塔。
けれど本館を眺めていると、その言葉が単なる愛称ではないことが分かります。
塔屋や丸みのある柱、城郭を思わせる装飾が、学校に少し非日常の輪郭を与えています。
ここは勉強をする場所であると同時に、登ってたどり着く場所でもあります。その距離と高さが、本館の印象をより強くしていました。
村上春樹も通った、神戸の名門校
神戸高校は、神戸市の中でも古い歴史を持つ公立高校として知られています。
そして、多くの人にとって分かりやすい接点のひとつが、作家・村上春樹です。
兵庫県立美術館の「兵庫ゆかりの作家」紹介では、村上春樹は芦屋市立精道中学校を経て兵庫県立神戸高等学校に入学し、1968年に早稲田大学第一文学部へ進学したと紹介されています。
村上春樹の小説と、この本館を直接結びつけて語ることは慎重であるべきかもしれません。
ただ、彼がこの坂を上り、この校舎で高校時代を過ごしたことは、建物の見え方を少し変えます。
作家の記憶は、作品の中だけにあるわけではありません。通った道、見上げた窓、雨の日の階段、放課後の光。
そうした具体的な場所の積み重ねが、どこかで人の感覚を形づくっていきます。
神戸高校本館を前にすると、学校とは単なる制度ではなく、時間をためる器なのだと感じます。
誰かが毎日通い、階段を上り、窓の外を見て、やがて卒業していく。
その繰り返しを、建物は静かに受け止めてきました。
本館の階段に残る、昭和13年の空気
今回、神戸建築祭で公開されていたのは、本館の階段部分です。
中に入ると、外観の城郭風の印象とはまた違う、落ち着いた公共建築の空気がありました。
広い階段、丸みを帯びた柱、アーチ状の開口部。
人が一斉に移動する学校建築でありながら、細部には余裕があります。
階段は、学校の中でも記憶がたまりやすい場所です。
登校時、授業の合間、放課後。
何千、何万という足音がここを通ってきたはずです。
教室そのものよりも、階段の方が学校の日常を覚えているのかもしれません。
踊り場には、古い鐘が飾られていました。
この鐘の表示によると、昭和12年に海軍大佐・奥田喜久司氏から寄贈されたものです。
本館の竣工が昭和13年であることを考えると、まさにこの校舎が建てられた時代の空気を伝える存在です。
鐘というものは、本来、時間を知らせる道具です。
けれど、ここに残された鐘は、いま時間を鳴らすというより、時間そのものを示しているように見えました。
昭和12年。
その数字には、戦前の緊張を含んだ時代の重さがあります。
学校の階段に残る小さな鐘。
それは装飾ではなく、校舎が生まれた時代を静かに知らせる標のようでした。
ライオンの水飲み場に残る、小さな城郭の記憶
校舎の外には、もうひとつ印象的なものがありました。
「ライオンの水飲み場」です。
壁面に取り付けられた小さなライオンの顔。
その下に、水を受ける石の器があります。いまの学校設備として見れば、決して目立つものではありません。
けれど、この小さな水飲み場が、本館の城郭的な雰囲気とよく合っています。
塔屋、アーチ、門柱、そしてライオン。
神戸高校本館は、大きな構造だけでなく、こうした細部によっても「ロンドン塔」の物語を支えているのだと思います。
ライオンの水飲み場は、実用の設備でありながら、どこか寓話的です。
学生たちがここで水を飲んだのか、手を洗ったのか。
その具体的な使われ方は分からなくても、そこに人の気配が残ります。
古い建物の魅力は、立派な正面だけにあるのではありません。
誰もが通り過ぎる階段。
壁際の鐘。
校舎の外の小さな水場。
そうした細部にこそ、建物が生きてきた時間は宿ります。
地獄坂を上ってたどり着く意味
神戸高校を語るうえで、坂の存在は欠かせません。
学校へ続く坂は、「地獄坂」とも呼ばれているそうです。実際に歩いてみると、その名前に少し納得します。
坂は長く、まっすぐで、海へ向かって落ちていくように伸びています。
振り返ると、神戸の街と港が見えます。
神戸は坂の街です。
けれど、神戸高校の坂は、単なる地形ではなく、学校の記憶の一部になっているように感じます。
毎朝、この坂を上る。
息を整えながら校門へ向かう。
帰りには、海の方へ下っていく。
その繰り返しが、学校生活の身体感覚を作っていたはずです。
村上春樹を含め、この学校に通った多くの生徒たちも、この坂を何度も上り下りしたのでしょう。
校舎の記憶は、建物の中だけにあるのではありません。
坂道まで含めて、ひとつの学校なのだと思います。
神戸高校本館は、丘の上に建つからこそ、城郭のように見える。
そして、そこへ至る坂があるからこそ、たどり着いた場所として記憶に残る。
ロンドン塔と呼ばれる本館。
昭和の鐘。
ライオンの水飲み場。
海へ下る地獄坂。
それらは別々の見どころではなく、神戸高校という場所に流れている時間の断片でした。
神戸建築祭で開かれた本館は、学校建築を見るというより、坂の上に積み重なった記憶を少しだけ覗く体験でした。










